Japan Blue Jeans Topics

Official Information of Japan Blue Jeans

ジャパンブルージーンズを作ることになったキッカケ

      2018/06/26

こんにちは。

ジャパンブルージーンズの岸本です。

今回はジャパンブルージーンズを作ることになったキッカケを書いてみたいと思います。

当社は創立1992年の㈱コレクトというテキスタイルメーカーとしてスタートしました。

私は当初、テキスタイルの営業や企画をしていました。

テキスタイルと英語で言うとなんかオシャレですが、生地屋です。

町の手芸屋さんにあるようなのではなく、アパレルメーカーへ生地を卸します。

 

こちらは現在の岡山児島のショールームです。

数えたことはないですが、1万種類以上はありそうです。

 

20年くらい前は、日本のデニム生地は世界から注目を浴びたりしていませんでした。

当時のデニム生地は作業着とかの本当のワーク向けか、ジーンズメーカーくらいしか使ってませんでした。

機屋さんもいっぱいあったけど、どこも同じような生地を作ってて、差別化なんかまったく考えてない時代です。

それでもバカみたいに売れていた、ガチャマン時代です。

織機が一回ガチャガチャ動くだけで儲かる、繊維業界の古き良き頃です。

 

当社はデニム生地業界の中でも最後発だったので、同じことをしても勝てない、

なので変わったデニム生地を、当時としては特殊な素材を使って差別化をしていました。

変わった生地ばかり作っていたら、突然ヨーロッパのだれもが知るコレクションブランドから1枚のFAXが、、、

ピーーーー「オタクノキジキニイッタ。アシタミセテクレ。パリニキテ」

みたいなのが英語で書かれていました。多分。

GOOGLE翻訳もなかったので中学レベルの英語力で解読しました。

その時は海外に生地を売る、という発想は全く無く、誰もパスポートも持っておらず、英語もできず。

「ほんとこれ?」

「いたづらじゃね?」

「パスポート、お願いしたら1日でできんの?」

「誰かの借りたらだめなん?」

「飛行機嫌いやわ~」

と読めないFAXを囲んで緊急ミーティングです。

ただそんなミーティングもむなしく、日本からは出させてもらえないことだけは決定しているので、

「ゴメン、アシタハムリ」

と書いたFAXを送り返しました。

 

この時は残念ながらこれで話は終わってしまいましたが、

海外の人は国境は気にしない

欲しい物があれば距離や言葉は関係ない

ということを教えてもらいました。

鎖国をしていたのにペリーが来航してきて開国したのと同じ状況が起こったのです。

ここからは海外の生地展示会へ出展したり、エージェントと一緒に営業したりで、少しずつ取引先も増えていきました。

ちなみにこちらが毎年パリで開かれてる展示会に出展した際の写真です。

 

そうこうしながら、何度目かの海外生地展示会に出展した際、生地を見に来たデザイナーから、

「これ売ってくれない?」

と声を掛けられたのです。

これ、というのが生地を売るために作っていた製品のサンプルでした。

デニム生地をただ吊っていてもパッと見はただの濃紺の生地で、それがたくさん並んでいても違いが分からない。

なので、この生地を使ったらこんなジーンズになりますよ、というサンプルを作って展示しています。

 

こちらが生地で吊ってる状態です。

面白くはないですね。

 

そのサンプルを個人的に欲しい、というのです。

しかもそれが一度ではなく、何度も何度も言われます。

最初のうちは生地も欲しがってくれよ~

思ってましたが、あまりにも言われるので、

それなら作るわい!

 

これがキッカケです。

 

生地作りからジーンズ作りへ、、、ここからがまた大変で、、、、

 

つづく

 

 このブログを書いた人

JAPAN BLUE JEANS ディレクター 岸本

ワイン好きな
愛され上手な部長です。by muro

 

 

 

◆INFORMATION

ショップのお気に入り登録をして、最新情報をGET

(Visited 917 times, 1 visits today)

バナー部分

 - Factory , , ,